2024年3月3日 晴れ。
タイ王国に転勤辞令が出て、バンコックにいた頃の想い出です。
その頃は、タイ王国の歴史に凝って居ました。その頃のタイ王国では、交通渋滞が頻繁で、高速道路の建設が盛んでした。
当時はバンコックのマンションに住んでいたのですが、勤務地のある場所は、アユタヤ県に有り、自動車で3時間掛かった時もあるぐらい混雑して居ました。
当時から、北部の地域には古い都市も多く、一種の憧れだったのです。
そう言う事情もあったので、北部のスコータイ遺跡公園には行ってみたかったのです。
以下の文章は、当時のままです。
2020年9月17日
世界的な=パンデミック=となった、新型コロナウイルスであるが、日本でもその感染勢いはすこしも衰えない。
今年の3月から4月の桜の季節から、早くも6か月になってしまったが、今日から=蝶・チョウ・ゆっくり歩き=のブログを更新したい。
今から、20数年前には、東南アジアの=タイ王国=に駐在していました。
中学生のころから、チョウの魅力にとり付かれていた chochoensis は、=タイ王国=に転勤が決まったときには、勤務の苦しさよりも、幾分、憧れていた南国のまだ見たことがない景色を想像していました。
それまでは、新大陸の北アメリカの中西部に転勤していたこともあり、南の国に憧れていたのでしょう・・・。
下の画像「キシタアゲハ」は、=ブログ初掲載=になります。
文章は、2012年ごろに掲載した内容を下記の通り引用しました。
南国=タイ=に駐在していた頃、アユタヤ時代以前に栄えた=スコータイ遺跡=を見に行った事があります。
1998年7月10日のことです・・・。
そのころ、バンコックに居を構えていたのですが、=タイ国=タイ族の最初の国家と言える原点・タイの黎明期となった都の散策に心を奪われていました・・・今では、その地は、=スコータイ王朝遺跡公園=になっていて、かなり広かった。
バンコックから北に360キロ、スコータイ市からは西へ12キロの場所に=スコータイ王朝遺跡公園=は、ありました。
その公園遺跡は、先日、洪水で有名になった=チャオプラヤー川=の近くでした。スコータイという地名は、「幸福なタイ」と言う意味で、バーリー語では、「幸福な夜明け」という意味であったと言う・・・。文字通り現在のタイ王国の文化文明の=黎明=を表した言葉だったのでしょう。
この「スコータイ王朝遺跡公園」の或る場所から、南へ下がった「バンコック」まで標高差がなんと、1.4メートルしかない高低差だという・・・今回の洪水被害で、溢れた=水=がなかなか引かなかった理由もなんとなく理解できます・・・。
この「スコータイ王朝遺跡公園」で初めて=アゲハチョウ科=「キシタアゲハ」を観察しました。
スコータイ王朝の「ラムカムヘン王」は、大変な業績を残したのですが、軍事・政治・外交・文化・仏教など多岐に亘って人民を統括したといい、その死後、南で勃興した「アユタヤ」がスコータイに代って遷都したといいます。
スコータイで一番大きいホテル・・・「パイリン・ホテル」=Pailyn Hotel=フロントの後ろを見たら・・・日本の現・明仁(あきひと) 天皇陛下ご夫妻が、1991年9月28日に、ご宿泊なされたと、写真入りで紹介してあった、天皇陛下も=スコータイ王国遺跡公園=にお出掛けなさったのであろうか・・・。