名前が恐ろしい・・・「ヘビトンボ」 |
姿や名前は、おどろおどろしていますが、ウスバカゲロウなどの仲間で、飛ぶときにもヨタヨタした感じで飛びます。先日、埼玉県西部の横瀬町に行ったら、白壁に張り付いているのを見つけた・・・思わず「アッ!・・・」・・・「ヘビトンボ」!と言ってしまった・・・このブログに初登場の=虫=を見つけた時のいつもの癖ではありますが、恐らく周りの人は、驚いたのではないでしょうか。
この「ヘビトンボ」、ソッと触ろうとしたら、急に頭を持ち上げて威嚇してそのまま数メートルヒラヒラと飛んで地面に落ちてしまった・・・良く見ると、左触角が欠損していましたが、元気でした・・・。
2007-8-9 トンボではない「ヘビトンボ」
*ヘビトンボ
しかし良く見ると、翅の幅がとても幅広になっていて違和感が感じられます。前翅の翅脈に=黄色い斑点=があるのも、アクセントになっていて美しい・・・。
地面に落ちた「ヘビトンボ」の翅を見てみると、その幅が広い事が良く判ります。
2007-8-9 翅の幅が広い「ヘビトンボ」
この「ヘビトンボ」の幼虫時代は、流れのある砂礫地の石の下や、砂まじりの小石の下などで3年も生活して小さな生き物などを捕らえて生きているようです。しかし、成虫になるとその生涯は短く、僅か=2週間=の命だといいます。
宮城県白石市に伝わる=民間伝承=がありますが、この「ヘビトンボ」の幼虫を「孫太郎虫」と呼んだ経緯が伝わっています。
永保年間のころです、宮城県斉川村に桜戸の女房がおりました。彼女は、父親の仇を討ちたいと願っていましたが、叶わず、子供の孫太郎にその思いを託していました。しかし、孫太郎は、生まれてこの方、虚弱体質で=疳(かん)=が強く、孫太郎が7才になった時に大病を患い重体になってしまいました。そこで、母親は、鎮守の=田村神社=に籠って祈願したところ、「斉川の小石の間にいる虫を食べさすように・・・」というご神託を得ました。それに従うと、やがて、孫太郎は健康体になったので、それ以来、この虫を「孫太郎虫」と呼ぶようになったといいます。
永保年間といえば、11世紀初頭の1081年から1083年ごろですから、その頃から「孫太郎虫」が知られて、やがて江戸につたわり、疳の薬=民間薬=としての効用が伝わったらしい。
いまでも、宮城県斉川村の田村神社裏手には「孫太郎虫」の供養碑があるといいます。
*この項目、東京都薬師会北多摩支部の資料を参考にしました。