2018年8月16日 曇り。
「イネ」の想い出・・・
chochoensis が 山梨県・禾生村に疎開していた8歳の時に起こった悲劇を記載しておこうと思います。
それは終戦末期の1945年夏のことでした、禾生村のあたりは、=稲(いね)=が田圃に植えられており、夏ごろには、=夏草=が茂るので、農家の人たちは、草いきれの中で夏草を取り除くのが大変でした・・・。
そんな暑い日差しのある日でした、農家のおじいさんが、その茂った夏草を取り除くために田圃に行っていたのです、しかしその日は、なんとなく蒸し暑く、空が晴れていました。
そこに、いつもの=空襲警報=のサイレンが鳴ったのでした。
しかし、おじいちゃんは草取りに夢中で耳に入らなかったのかもしれません。
その時に、南の方から=艦上爆撃の飛行機(艦載機)=がやってきたのです。あっという間もなく近づいた飛行機は、急降下して、非戦闘員のお爺さんに機銃掃射をしたのです、哀れにも機銃掃射の機関銃の弾は、お爺さんに当たりました。
即死でした。
戦争は怖い、そして惨いな、しかも標的は、非戦闘員の農家のお爺さんです。
この時以来、「イネ」の田んぼを見ると、その時の惨劇を思い出します、戦争は2度としてはならない・・・これは今でも変わらない信念です。
戦争を知らない世代が増えているという、このことが恐ろしい、もし、この銃撃・殺戮が身内だったらどうだろうか、考えてみよう・・・。
2012-8-19 「イネ」 埼玉県:川越市