世相と歩む人生 チョウセンアカシジミの想い出 |
50年前の記憶がまざまざと蘇った希少生物「チョウセンアカシジミ」
東京の東北の玄関口だった=上野駅=、東北本線の始発駅だった上野駅に立ったのは、青年時代のころ、1958年7月11日の夜だった・・・。ここから夜行列車に乗って、岩手県の盛岡駅目指して友人の畠山光平クンと岩手県下閉伊郡田野畑村沼袋という小さな村に行こうとしていたのです・・・。盛岡駅に着いた、当時の写真を見てみると、未だ見ぬ「チョウセンアカシジミ」に興奮していたのか、それとも、慣れぬ夜行列車に疲れたのかゲンナリした顔つきをしています。盛岡から宮古行きに乗り換えさらに茂市で乗り換え、岩泉町を経て田野畑村に入ったのです。
その当時の「チョウセンアカシジミ」は、とても珍しく、1953年9月に新亜種として記載されたばかりでした。「チョウセンアカシジミ」の新発見記載から4年後の1957年の事です、我々もその珍しい「チョウセンアカシジミ」を見に行こうと計画を立てたのでした・・・。その当時、1952年(昭和27年)に宮古高等学校の先生をしていた「山本 弘」=後に一関市修紅短期大学の教授を務めた=先生が、夏休みの宿題の昆虫標本の中に「チョウセンアカシジミ」を見つけたのです・・・この経緯は、宮古高等学校の生徒だった「菊地 純一」さんが田野畑村で採集したことがわかったのだそうです。その年の秋(1952年10月)に盛岡市で行われた日本昆虫学会で紹介され、話題になり、故 江崎 悌三 博士が「朝鮮半島の一部で知られる型で分類学上、貴重な発見・・・」と言わしめた新発見でした。このような話題性のある「チョウセンアカシジミ」でしたから、夜行列車に乗って出かけたのもご理解いただけるのではないでしょうか・・・。翌年、1953年に上記の「山本 弘」先生と、当時、岩手大学の助手だった「岡野磨瑳郎」さんとの共同調査で田野畑村での棲息を確認できたといいます。岩手県の調査が更に進み、山形県にも居ることが判りました・・・山形県新庄市真室川町神ヶ沢・・・ここで黒色の発達した「チョウセンアカシジミ」が発見されたのです。元、真室川小学校の校長もなさった「大類 貞夫」さんがその人です・・・。
今回は、山形県に行ってみました・・・地域住民の「デワノトネリコ」保護や、増殖、下草刈りなどに守られて、貴重な「チョウセンアカシジミ」は、守られていました。