色彩豊かな「シノリガモ」 |
今日、紹介するカモは、色彩豊かで、模様がとてもユニークな「シノリガモ」です。バードウオッチングを始めて1年になろうとしていた頃です、家内と一緒に北茨城にオオハクチョウを観察に行って、そのまま北茨城市の海岸に出て見ました・・・ここは、詩人=野口雨情=の故郷で、野口雨情記念館がありました、その2階の窓から海を眺めていた時です・・・波消ブロックの陰に「シノリガモ」が居るのを見つけました、はじめてみる「シノリガモ」に興奮して、すぐに海岸の方に行ってみました。やはり「シノリガモ」でした・・・なんというユニークな色彩模様なんだ!
しばし、見とれてしまいました・・・しかし、フィールドスコープで観察するのが精一杯でした・・・その後も、千葉県銚子市や茨城県波崎町などでも観察は出来ましたが、写真には撮れず、悔しい思いをしていました・・・。
そこで、先日、野鳥観察の友人、東京都にお住まいの長谷川 厚司さんに「シノリガモ」の写真をお借りできないかと連絡したところ、快く掲載の許可を戴く事が出来ました。ありがとうございます。
今日はその、「シノリガモ」の雄・雌ペアーが並んだ写真を掲載したいと思います。
2003-1-2 ユニークな模様の「シノリガモ」 千葉県
撮影:東京都港区 長谷川 厚司 氏
*写真の著作権は、撮影者にあります、無断転載しないでください
この「シノリガモ」は、江戸時代中期ごろから知られていたらしく、古名:「をきかも」または、「をきのけんてう」と言っていたようです。
「鳥名の由来辞典」で調べてみると、「けんてう」の意味を、次のように述べています。
即ち、「けんてう」と言うのは、詳しくは解らないのだが・・・と前置きしながら・・・褰帳(けんちょう)の意味ではないかと言っています、褰帳というのは、高御座の帳(とばり)を褰(かか)げる女官ではないか・・・と説明しています。
*しかし、どうもシックリしません・・・chochoensisの一つの仮説として、次のように考えました・・・。平安時代の「梁塵秘抄口伝集」と言うのがありますが、その口伝集、巻第十と言う箇所に、後白河上皇が34歳のころです、丁度、都で=平治の乱=があった直後の頃に当時上流社会の流行ごとだった紀伊国熊野三宮参りに行幸された上皇が厩戸王子社の宿に泊ったときに後の=太政大臣 平 清盛=が夢を見たことが記されており、その時に・・・夢に思ひ合せられて人々けんてうなる由を申あひたりき。・・・
この夢のことがとても=目出度い兆し=といっているのです・・・この「けんてう」=顕兆(けんてう)=と言う言葉が、とても気になるのです・・・。
「シノリガモ」の顔つきを見てください・・・華やかでお目出度いしるしのように見えませんか?
海の上の遠くにいる目出度い模様のカモ、即ち、「沖の顕兆(をきのけんてう)」・・・少し考えすぎでしょうか?
清盛の見ためでたい夢・・なるほど、なにかの瑞兆と考えるほうがシノリガモにぴったりですね!
いつか北海道を旅して、このカモにあってみたいと思います。
chochoensisさんの名前に関する仮説はとても面白いですね。
恐れ入りました。