2007年1月6日 雨。
「タンチョウ」は、秋から冬の間は湿原を離れて道東の阿寒町や鶴居村などの餌場にやってきますが、私がバードウオッチングを始めて7ヶ月ほどたった1999年8月下旬に浜中町で観察した「タンチョウ」は、親子連れで湿原の中を歩いていました・・・距離が遠かったのであまり上手く撮れていないのですが、「タンチョウ」を初観察した懐かしい1枚なのです・・・。
1999-8-31 北海道:浜中町で出会った「タンチョウ」の親子
秋が深まってくると風のあまり当たらない、水温の変化が無い川などに避難し、キツネなどの外敵から身を守るそうです。厳寒の2月に入ると、「タンチョウ」の動きが活発になって雄と雌の=鳴き合い=が盛んに行われて、首を大きく伸ばして雄は、「コー」と鳴き、雌は、「カッカッ」と鳴き交わします・・・。その鳴き声は、甲高く、鶴独特の鳴き声なので、これを=鶴のひと声=と言うようになったといいます・・・。この鳴き声の持つ意味は、自分の=なわばり=を他の仲間に誇示して番の結びつきを強くするためだといいます。この頃の番は、雄と雌が飛び跳ねるようなダンスをするので、とくにこれを=鶴の舞い=と言います。「タンチョウ」などが高音の声を出せるのは、気管が首の中をまっすぐに通って肺に達し、その気管が胸骨の内側で大きく環のようになっていて鳴管と組み合わされて発音器の役目をするので丁度、金管楽器のように反響する鳴き声が出るのだそうです。この「タンチョウ」という鶴は、江戸時代には、日本各地に居たと言いますが、明治時代に乱獲され、開拓による湿原の減少ともあいまって、絶滅寸前まで追い詰められたのですが、大正13年に釧路湿原で10数羽が見つかり、その後、11年後に天然記念物に指定されましたが数は増えずに居ました・・・。戦後、昭和27年(1952)に釧路湿原で見つかった「タンチョウ」は33羽になって居たのですが、寒波で川の水が結氷していたので地元の人がトウモロコシの餌を与えたのが、人工給餌の始まりだったと言います。釧路湿原は、昭和55年(1980)に日本で最初の=国際湿原保護条約(ラムサール条約)=指定地になって「タンチョウ」の安住の地が保たれつつありますが、油断は出来ないですね。その後、「日本野鳥の会」が昭和62年(1987)に=鶴居タンチョウサンクチュアリ=を作って保護が進んでいるのは、すばらしい事だと思っています。