2006年1月3日 晴れ。
昨日は、「国鳥」のキジを紹介したので、今日は、「国蝶」の「オオムラサキ」を紹介したい。「オオムラサキ」・・・この言葉の響きを聞くと、少年時代に戻ってしまう・・・最近は、雑木林の衰退が激しくなって、この蝶の棲める場所が段々となくなってしまった。昔、東京の郊外に出かけると、食樹の「エノキ」がたくさん生えていて、さらに樹液の出るクヌギやコナラなどの雑木林がいっぱいあった・・・しかし、住宅開発で林が切り払われ、雑木林の薪炭材が使われなくなって「オオムラサキ」は幻になってしまった・・・残念なことだと思う・・・。
2004-6-29 「オオムラサキ」♂吸水 埼玉県:比企郡にて
昨年の4月6日のブログで少し触れたけれども、「オオムラサキ」が「国蝶」になったいきさつを書物で検証してみた。今から、約70年ほど前の昭和8年(1933年)、九州帝国大学の教授だった、(故)江崎悌三博士が、虫の中にも美しいものがあり、その代表、蝶の中から「国蝶」を決めようと、当時、東京で行われた蝶類同好会の懇親会の席上で提案されたといいます。ただ、この場合の「国蝶」といっても、国民に知らせるとか、法令で決めると言うものではなくて単純に、蝶好きな仲間で楽しむという程度の考え方だったといいます。記憶が定かではないのですが、確か、「ガン研」の中原和郎博士・・・南米産のモルフォチョウの収集家で有名・・・が「国蝶」に「オオムラサキ」を推薦されたと思います。その他にも、ミカドアゲハ、ギフチョウ、アゲハ、などが推薦されたのですが、蝶類同好会会員の投票の結果、「オオムラサキ」が1位になったのです。しかし、当時の投票結果が会員の過半数に満たなかったので、正式決定を保留したまま、戦後を迎えたのです。そして、昭和32年(1957年)3月30日、東京:上野科学博物館で行われた日本昆虫学会評議委員会で正式に「オオムラサキ」が「国蝶」に選ばれたといいます。決定の詳細は知りませんが、その前年の昭和31年に「オオムラサキ」の額面75円の郵便切手が発行されていたことも、影響していたのかもしれませんね・・・。さて、下の画像は、「オオムラサキ」卵・・・(左上)、中令幼虫・・・(右上)、亜終令幼虫・・・(左下)、終令幼虫・・・(右下)です。卵は、山梨県、他は、埼玉県にて撮影。
「オオムラサキ」の平地産は、大きいのですが、下の画像、蛹の下の個体は三峰山山頂で撮影したのですが、かなり小型の個体でした。