「オオムラサキ」 生活史 |
*この「オオムラサキ」の記事は、2006年1月と、2007年7月の記事を参考に加筆・訂正したものです。
「オオムラサキ」・・・この言葉の響きを聞くと、中学校の少年時代に戻ってしまいます・・・最近は、雑木林の衰退が激しくなって、この蝶の棲める場所が段々となくなってしまった。
昔、東京の郊外に出かけると、食樹の「エノキ」がたくさん生えていて、さらに樹液の出るクヌギやコナラなどの雑木林がいっぱいあった・・・しかし、宅地開発で林が切り払われ、雑木林の薪炭材が使われなくなって「オオムラサキ」は幻になってしまった・・・。
2004-6-29 「オオムラサキ」♂吸水 埼玉県:比企郡
今から、約70年ほど前の昭和8年(1933年)、九州帝国大学の教授だった、(故)江崎悌三博士が、虫の中にも美しいものがあり、その代表、蝶の中から「国蝶」を決めようと、当時、東京で行われた蝶類同好会の懇親会の席上で提案されたといいます。
ただ、この場合の「国蝶」といっても、国民に知らせるとか、法令で決めると言うものではなくて単純に、蝶好きな仲間で楽しむという程度の考え方だったといいます。
記憶が定かではないのですが、確か、「ガン研」の中原和郎博士・・・南米産のモルフォチョウの収集家で有名・・・が「国蝶」に「オオムラサキ」を推薦されたと思います。その他にも、ミカドアゲハ、ギフチョウ、アゲハ、などが推薦されたのですが、蝶類同好会会員の投票の結果、「オオムラサキ」が1位になったのです。
しかし、当時の投票結果が会員の過半数に満たなかったので、正式決定を保留したまま、戦後を迎えたのです。
そして、昭和32年(1957年)3月30日、東京:上野科学博物館で行われた日本昆虫学会評議委員会で正式に「オオムラサキ」が「国蝶」に選ばれたといいます。決定の詳細は知りませんが、その前年の昭和31年に「オオムラサキ」の額面75円の郵便切手が発行されていたことも、影響していたのかもしれませんね・・・。
さて、下の画像は、「オオムラサキ」卵・・・(左上)、中令幼虫・・・(右上)、亜終令幼虫・・・(左下)、終令幼虫・・・(右下)です。卵は、山梨県、他は、埼玉県にて撮
オスの方がメスをなだめるような形でしたが初めて見る光景にビックリしました。
この「オオムラサキ」の=求愛行動?=は、初めて観察したのですが、調べても良く判りませんでした。
昔の東京近郊でも「オオムラサキ」は、かなり棲息していたのですが、薪や炭の需要がなくなり、雑木林が放置され、武蔵野から「オオムラサキ」が衰退するのにそんなに時間は掛かりませんでした、そのために随分と雑木林が伐採され、住宅地に変わり、環境の変化で見ることが少なくなりました。とても残念です。
日本の他、中国大陸の東北部・四川省・雲南省・福建省などにも生息しているそうですが、日本だけの蝶かと思っていたら、台湾北部の山地とか朝鮮半島にも居ると聞いて驚きました。
中学生の頃、この「オオムラサキ」が学校の近くに居て、「バサバサ・・・」とおおきな翅を打ち鳴らす音に驚いたものです・・・。
「蝶」の配偶行動を調べてみました・・・博報堂出版「チョウのはなし」に出て来る=配偶行動=の話です、これによりますと、「・・・交尾成立には、前段階が必要です、まず個体同士の出会いが必要で、同種が認識しあう必要があります、つまり、個体間の相互認知が認められて異性かどうか確認し、オスのほうから求愛動作に入る・・・」このような事が書いてありますから、もしかして、この「オオムラサキ」のオスとメスは、=個体間の相互認知=のお見合いをしていたのかもしれません・・・。
2007-7-22 「オオムラサキ」のお見合い? 信州にて
「江戸の動植物図」に出て来る=ヨロイテウ=「オオムラサキ」雄・雌